『「認められたい」の正体 承認不安の時代 』(山竹伸二)を読んだ

社会共通の価値観がゆらいでいる現代は、自由な行動の可能性が広がるいっぽうで、誰からも認められる行為の認識は、昔に比べて不透明になっている。そうなると、身近な人々からの承認の価値が相対的に高まる。果たしてこの行為で、この発言で、この作品で自分は認められるのか? と、個人の自由と身近な他者からの承認を天秤にかけて行動を選択することが増える。なぜこんなことになっているのか、どうしたら承認不安を払拭して自由を取り戻せるのか。そんなことが書いてある。

本書から学んだのは、本書があつかうテーマそのものだけど「自由への欲望」と「承認への欲望」は表裏の関係にあるということだ。なにか自分の行動を抑制しようとしている時、他者から認められたい、という欲望がうずまいている可能性がある。

もともと「自由への欲望」と「承認への欲望」の間には葛藤が起きやすい。たとえば、職場で自分のやりたい仕事があっても、上司や同僚に気を遣って断念したり、休日は寝ていたいと思っても、恋人の買い物や友人の遊びに付き合ったり、私たちは他者の承認を維持するために(「承認への欲望」を満たすために)、ある程度まで自由な行動を抑制する。

飲み会に誘われて断れないとかはありがちな話だ。自分の経験を思い出してみると、そうしてしまったあとにはたいてい後悔の念にさいなまれていた。そして自分の意志の弱さに辟易していた。これが身近な他者との間にはびこる「空虚な承認ゲーム」の典型例だろう。

自己了解と「一般他者の視点」による内省ができるなら、私たちは身近な他者の承認のみに執着せず、「見知らぬ他者」の承認を確信することで、また自分の意志で行為を選択することで、自由と承認、両方の可能性を切り開くことができる。

自分の行為に一般的な視点を加えることで、身近な承認の欲望から適度な距離をたもち、ほどよく自由を謳歌できるということだと理解した。この視点はほとんどの場合、自然と獲得していくものであるとも書いてある。

それはそれとして。わたしは創作活動における自由について関心がある。絵でも小説でも音楽でも、自分の作品を人に認められたい。これもよくある承認の欲望だろう。自分はデザインを生業としているので、気づいたらデザイナーの自由と承認を考えていた。

わたしが知っているデザイナーの世界では、とうぜん堅実な仕事も評価されるが、ちょっと違うことをしているほうがより評価され、歓迎される風潮があるように思う。ちょっと違うことというのは、たとえば斬新な発想、奇想天外なアウトプット、個性的な作風、といったものだ。もちろんビジネス的な要件を満たした上での適切な飛躍を指している。言葉を変えると、カッコいいものをつくらないとパッとせず、加点評価されないとも言える。

自由が受け入れられる現場でないとカッコいいものは生まれにくいのではないか。そんなことを思った。強い権威やルール、伝統の圧力があると、同僚やクライアントに怒られたくないので飛躍より無難を選びがちになりそうだから。無難なものは及第点以上にはならない。

デザインにも一般他者の視点が役に立ちそうだ。仮にそういった状況におかれたとしても、デザインの仕事に一般他者の視点を加えることで、飛躍したアウトプットに自信をつけることができるように思える。具体的にはなんだろう、ここでいうデザインで道徳的価値を気にしても仕方ないので、やっぱり多様なユーザーの価値の理解とかになってくるのかな。

そして、自信とはそういうものではないか。

そんなことを考えました。Kindleのハイライトをしすぎて振り返りに困ったくらい面白く読ませてもらいました。

責任と判断 (ちくま学芸文庫)

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菊と刀 (光文社古典新訳文庫)

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